院内研究 第67回

共感と共感的理解 保立 09/30


1. はじめに 〜今さらながら、なぜ「共感」?〜

医療現場、殊に精神医療現場で「共感」と言う言葉は目新しくありません。 しかし、耳にタコができるほど聞かされている言葉にもかかわらず、よく吟味されぬまま、おざなりにされていることもまた少なくない言葉です。 今日は初心に立ち返って、共感について再考してみたいと思います。

日本で(心理)カウンセリングといえば、カール・ロジャース(Carl Ransom Rogers, 1902 - 1987)に源を発するカウンセリング手法を指します。 ロジャース派のカウンセリングは、非指示的療法→来談者中心療法→人間中心療法(PCA)と改称されてきました。

(驚くべきことに)来談者中心療法では、カウンセラーの知識や技量は重要視されないのだそうです。

ロジャースの言う必要3条件(無条件の肯定的配慮、共感的理解、自己 一致)をカウンセラーが満たせば、 人間に本来備わっている(とロジャースが言っている)“(自己)実現傾向”が発動し、 来談者は自己成長していく(あるいは問題を乗り越えていく)と考えているようです。

必要3条件の説明を以下に簡略に示します(以下、『学術用語集』より引用)。


1) 無条件の肯定的配慮(unconditional positive regards)

無条件の肯定的配慮(受容)とは、来談者中心療法のセラピストに必要な態度のひとつである。 クライエントを、一人の独立した人間として無条件に認め、ポジティブな面と同様にネガティブな面をも受容すること。

クライエントが不適応にあるということは、つまりクライエントが自分自身を受容できていない状態にあることを指す。 そこで、セラピストが無条件にクライエントを受容することで、クライエントが自己を見つめ直し自分自身を受容できるように援助するのが、 無条件の肯定的受容の意義である。

2) 共感的理解(empathic understanding, empathetic understanding)

共感的理解とは、来談者中心療法のセラピストに必要な態度のひとつである。 クライエントの内的な主観的世界を、セラピストがあたかも自分のものであるかのように感じ取り、 しかも巻き込まれずに、「あたかも〜のような(as if)」という性質を失わないこと。

共感的理解の治療的意味は、まずセラピストがクライエントを共感的に理解し、そしてそれをクライエントに反映させることを通して、 最終的にクライエントが自分自身の理解に至ることを援助することにある。

3) 自己一致(congruence)

自己一致とは、自己概念(そうであるべき自分)と自己経験(あるがままの自分)が一致している状態のこと。

ロジャースの来談者中心療法において目標とされる健全なパーソナリティの状態で、後にジェニュインネス(純粋性)と呼ばれるようになった。 逆に自己概念と自己経験の不一致がクライエントに不適応をもたらすことになるのである。

心理療法の場では、セラピストの自己一致が、クライエントの不一致から自己一致状態へ変化、治療効果をもたらす為の必要条件とされている。


2. 共感、共感的理解、共振

しばしば、共感的理解を「共感」と(略して?)と述べることがあります。 略称と理解して使うのなら構いませんが、そもそも混同して両者を使用しているいるのであれば、早いうちに区別する必要があります。 共感的理解のもつ意味は、同情や同感とは異なるのと同じくらい、(国語辞書に出てくる)共感(という単語)とは異なるからです。

共感的理解、共感、ついでに共振の3つの異同を便宜上以下のように示します。

共感的理解

共感

共振

類似体験

していなくても可

必要

必ずしも必要としない

主に関与する機能

思考(理性)>感情

思考<感情

思考<<<感情(情動)

価値判断

あえてしない

快/不快の自動判定

判断はない

相手との関係

相手>自分

相手=自分

相手不在(自分のみ)



共感的理解はあくまで共感“的”なのであって、共感ではありません。 ここを押えておけば、“努力したけど、やっぱり共感(的理解)できないわ”というような挫折にまでは至らないはずです。 「そうそう、その通り!」と得心することではなく、「(目の前の)この人はそう感じているのだな」という推定作業なのですから。

蛇足ながら、「自己一致」についても同じようなことが言えます。 無法な言動を前にして、それを許容できないことがあります。 本当は否定したり諭したりしたいのに、(カウンセラーだから)傾聴して頷き続けます。 ここで真面目な(勤勉だが、不勉強な)カウンセラーは、“私は受容していないのに、受容したフリをしてしている”と困惑します。

これはまったくもって「自己一致」の概念を取り違えた末路です。 自己一致というのは、認められない言動であっても心広く納得尽くで受け入れるという単純過程ではありません。 「1)認めていない自分をはっきり認識する、その上で、2)その時、職務的に、もっとも最良の一手を打つ」という複合過程です。

具体的には、以下のような内言として表せるでしょう。

「来談者の考えに個人的に私は反発を感じている。しかし、ここで異議を唱えるのは面接のプロセス上好ましくない結果を招くことが予想される。 よってここでは傾聴(良い/悪い、賛成/反対の判断をフィードバックせず、相手の話を音の通りに受け取り続けること)に徹するのが臨床上の最善手だ。」

こうした手続きによって、相手にも自分にも嘘をつかず(自己一致しながら)、もっとも望ましい結果を引き出すことが可能となっていきます。


3. 支援者効果(被共感的理解)

支援者効果という術語は公式にはありません。類似した意味をもつ術語に、 実験者効果(心理学以外の自然科学分野では観察者効果)とかピグマリオン効果と呼ばれるものがあります。

1) 実験者効果

実験者が意図せずに、被験者の行動に及ぼす実験統制外の影響のことで、 実験状況における実験者の非意図的な行動が、被験者の行動に影響を与え、結果的にバイアスをもたらすことを言います。

実験者の「こういう結果になれば望ましい」といった願望が、知らず知らずのうちに自らの反応、次いで被験者の反応に影響を及ぼしていることがよくあります。 医学の試験で二重盲検法が使われるのはこのためです。

2) ピグマリオン効果

意図するか否かに関わらず、期待が成就されるよう機能すること(期待する側の期待に沿うよう期待される側の行動が変化すること)をピグマリオン効果と呼びます。 ギリシャ神話に登場するピグマリオン王の恋焦がれた女性の彫像が、女神アフロディテの力で人間になったという伝説に由来します。

Rosenthal, R. & Jacobson, L. (1968)は、児童や生徒に対して教師が持つ期待が、児童や生徒の学習成績を左右することを実証しました。 教師が期待を持った子供は、8ヶ月後のテストで高い成績の向上を示しました。 教師が高い期待を持つと、ヒントを与えたり、質問を言い換えたり、回答するための時間を増やしたりする(教師自身は気づいていない)行動が増加しました (cf. ゴーレム効果)。

3) 被共感的理解

支援者効果は、支援を受ける側(実験者効果でいうところの被験者)が支援者の意向に気づいているか否かで若干の相違はありますが、 類似した現象と見て差し支えないでしょう。被共感的理解効果とも言えます。 つまり、支援者が期待する結果を支援者が汲み取り、支援者を気遣って期待に沿うよう行動してしまうのです。支援者が共感されてしまう本末転倒の現象です。

運動が好きでなかった人が急にスポーツに参加したいと言い出したり、 他人と過ごすことにストレスを覚えやすい人が、集団活動に加わりたいと突如表明してきたときには、 積極性が増したと喜ぶ(勘違いする)前に、自分が共感されてしまっていないか(気を遣われていないか)疑うほうが賢明です。


4. 日本人の共感性

日本人は共感はできるが共感的理解は苦手な国民だと私は思っています。

内輪では、日本人は感受性が豊で情を解する床しい国民ということになっています。 しかし、ここで述べている「共感性」は、閉ざされた文化圏に居住する者同士、 さらには極めて狭い地域共同体(例:村落、結、隣組、etc.)でのみ通用する取り決め事のようなものです。

古来、比較的他民族の流入が少なく、家制度による縛りが強かった日本社会においては、 共感すべき対象と項目は、(地域)文化に組み込み済みであったと思われます。 時に応じて対象に指向し、自ら積極的に異民を理解しようとする行為(共感的理解)はあまり出る幕がなかったのではないでしょうか。

こうした日本の特性を考慮しての発言ではないのでしょうが、ロジャースは来日した際に、 「私はロジャースであって、ロジャリアン(ロジャース派)ではない」と述べたと聞いています。 これは、日本人は(ロジャースの)カウンセリングを誤解しているという婉曲表現とも受け取れます。

「以心伝心」「言わずもがな」といった言葉に表れているように、日本では多くを語ることをよしとしない傾向が脈々と息づいています。 現代人は必ずしもそうではないだろうと言いたいところですが、以前流行った「KY(Kuuki ga Yomenai)」という略語は、 「語らず察する」ことが相も変わらず重視されていることを示しています。 しかし、「察する」には、共通した習わしを通じた体験が求められるのです。

今の日本には、主流文化(mainculture)がむろん存在しますが、その下位にあまりに多くの副次文化(subculture)が散在しています。 それは地域色といった区分には収まらず、個人単位にまで細分化してきました。 そのような中で、地域限定版のモジュール(共感:定型の“作り置き”)のみに頼るには限界が見え始めました。 多様な対象に応じた摺り合せ(共感的理解:その都度の“作り込み”)を併用していく必要がここに生じてきます。

共感的理解のメリットの1つは、共感のように類似性の高い体験を必ずしも必要としない点にあります。 素地の薄い日本人がこれを身につけるには相応の訓練が必要となるでしょう。 私見に過ぎませんが、私たち日本人は、自然発生的・定常的な集団レベルでの共感の水増し(日本文化に根づく共感の既製項目の濫用)ではなく、 機会毎に生成され、対象へと適宜指向する個人レベルでの共感的理解(意図的で知性的作業として共感的理解)をカウンセリングの輸入を通じて学ぶべきだったのでしょう。


5. おわりに

ロジャースは、カウンセラーの3条件についてテクニカルな面を多く語りませんでした。 それは、彼が最重視した臨床技法が表面上の真似事に終わってしまうことを避けるためだったのかもしれません。 しかし、現実的にはカウンセラーの基本態度を強調し過ぎたがために、かえって誤解を広めることにつながってしまったように見えます。

今回のテーマに挙げた「共感的理解」はものすごく難しい作業ではありません。 その正体を的確に把握し、洗練された訓練をしておくことが肝要です。 受け入れようのないものを受け入れねばと勘違いして挫折したり、支援者効果に翻弄されたりしないようにしたいものです。

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